第5話「同時平行」stray sheep
先日、人と食事する機会があった。
ほとんど初対面だったので、いい印象を持ってもらいたい楽しみな感情がある反面、嫌がられたくないという不安な感情があった。
人と関わって生きていく上で、こういう感情が入り乱れたドキドキ感は不可避だと思う。
今後に繋げるためにも、久しぶりにこういう機会を得たので、自分の気持ちを俯瞰して見ることにした。
LINEでのやり取りや食事の場の会話は恙無く進み、自分としては楽しく時間を過ごせたように思っている。過干渉と無関心の間で揺れ動くやりとりは充実した時間だった。
でも、人の心なんて、自分の気持ちすら分からなくなるのに、ましてや相手の気持ちなんて分かるわけがない。人の言葉が気持ちどおりのことって大人になるほど少なくなる…ような気がする。
これを受けて頭に浮かんだのが量子力学の重ね合わせだ。
基本的なシステムとゲームの世界では、0と1で表現される完全に独立した結果が扱われる前提になっている。
勝敗は明確で、勝敗の理由には機械的な合理性があり、連綿と続く決定と事象の変化の繰り返しがある。
白黒はっきりした世界。
しかし、量子力学の世界では、状態は1つに確定されない。白と黒が同時に存在するのだ。
シュレーディンガーの猫の話はご存知だろうか?猫と爆弾を箱に入れてふたを閉めたとき、箱の中の猫は生きている状態と死んでいる状態が同時に存在しているという思考実験だ。
このような、勝ちながら敗けるという事態が発生する世界こそ、人の心を認識する上でのマスターキーになりうる考えなのではないかと。
こんな考え方に霊感を感じる。
日本人には幽玄という美的観念がある。白黒はっきりつけずに靄がかった風景に美を見る考えだ。
何百年も昔から、変わらずにあるこの日本という環境から醸成された文化的素地は、テクノロジーとインフラが高度に発達した現在にも深く根付いていると思っている。
根拠や科学的データはないが、感じるものがないだろうか。雲間に見える青空、石を覆うようにこびりついた苔、無秩序に歩く祭りの人混み、水溜まりに反射する弱い光、窓の反射で見える後ろの人の表情…
結論、この日本で人と出逢いかかわり合う限り、わたしたちの心には、楽しくもあり退屈でもあり悲しくもあり…といういくつもの感情が同時に居住するものなんだろう。
それが美しいとさえ思われる文化が誰しも心の片隅に飾ってある。
だから、今回の件は、楽しくも不安で温かくも怪しいこの気持ちのままでいいんだと再認識することにした。相手も同じであって欲しいと願うことが自然な形なのだろう。
結論のあとに話が膨らむようだが、1つの気持ちに支配されているときは、状態に甘んじているときであることが、往々にしてある。
好きな人と遊べて楽しい
人に裏切られて悲しい
馬鹿にされて悔しい
天気が良くて清々しい
心がこの支配的で強い1つの気持ちに落ち着くきっかけは無数に存在している。
しかし思い出すと、そんな瞬間があったとして、その後には必ず別の気持ちが湧くきっかけがあり、気持ちが変わっていったはずだ。
そう。人の心は揺れ動いて自然なのだ。
だからこそ、少しつらいけど少し楽しい重ね合わせの状態を意識したい。悲しいときは少し笑って、楽しいときは少しおさえて。
たぶんそれが正解なんだ。
この気持ちの基本的な理解とコントロールが出来たら、どんなことだって出来る気がする。
節目節目で振り返って行きたいと思います。
今回はまた固かった…そんな日もあるよね。
それでは、また!