第13話「正しさとは何か?」条件を与えて自分の正しさを。
またまたブログ更新がお久しぶりになりましたでやんす。
色々と状況が変わって来ました。
最近、僕の頭を支配している観念について、
思いついた順に書き連ねて行きます。
①善い、正しい、正解、正義ということについて
「世の中に正解も不正解もない」これは嘘です。
正誤で判定できる問いには正解も不正解も存在するからです。
しかし、条件を変えることによって、正解にも不正解にもなる問いはあります。
・イヌはネコ科の動物ですか?
これは間違いなく「いいえ」が正解です。
ただし、ネコ科のイヌという設定のキャラクターが存在している場合は「いいえ」が不正解になるパターンもあります。
・病気の状態は正常ですか?
ほとんどの場合が「いいえ」が正解となりますが、誰しも病の気質を持ちながら、生きているという文脈においては「はい」が正解となります。
・お金を持つと幸せになれますか?
これは人によって判断が分かれる問いでしょう。
条件を添えることによって、正解にも不正解にもなりえます。
お金を持つことで、お金に関係する悩みを解消することができるという意味では「はい」が正解ですが、お金を持つがゆえの悩みが発生しては「はい」は不正解となるというのは想像したらわかるでしょう。
このように「正しさ」は条件に支えられた概念です。
私たちが心から感じる「正しさ」に身を置きたいのであれば、まずは条件を整理する必要があるでしょう。
・善い人の定義を考える
善い人の条件とは何でしょうか?
「人のためになる行いをする人」というのが一般的なイメージでしょう。
しかし、その人が私生活にだらしない人だった場合、果たして善い人でしょうか?
そうです。「自分を律することが出来る人」もまた善い人の条件なのです。
このように色々な場合や想定を投げかけることで、善い人は輪郭を持つようになります。
僕が考える善い人は、健康で、生活が規則正しく、人に対して前向きに接することが出来、倫理的に後ろめたいことをしていない、人の立場に立ってものごとを考え、人の話をしっかりと聞き、自分の主張をしっかりと持ち、不当な不利益に対してはきっぱりと不当であると主張できる、忠心から思いやりのある行動を実行できる人です。
②思いやりを持つということについて
思いやりとは何でしょうか?
「人が困っているときに、その人の力になること」と習うのが入り口です。
しかし本当の思いやりを考えたとき、やはりそれも条件によっては変わる概念であることを思い知らされます。
論語には「智・情・意」という考え方があります。
勉学によって智慧をつけ、情愛を以て周りに還元し、意思を以て実行すること。
この3つそろって、全き人になれるという考え方です。
ここでいう情愛もまた、思いやりという文脈に落としこんで考えると、いかに抽象的な考えであることが分かります。
なぜなら、思いやりというのは、常に対多の関係にはなく、対1人の関係の中に存在するものだからです。
個人の考えというのは往々にして多様です。常識などという尺度ではかろうものならば、一気に足元をすくわれ、あるいは不用意にその人を傷つけてしまうでしょう。
ですから、思いやりを持つという言葉の枕詞には必ず、「その人のことをよく知った上でどのようなことを求めているかを測った上で」という文言がつき、「その人の望みを叶える助けとなること」と締めくくられるものであるべきです。
③恒常的であるということについて
常に何かを強く意識し続けるというのは大変難しいことです。
しかし、工夫次第でどうにかなるものです。
アフォーダンスという言葉があります。
ユニバーサルデザインの文脈で使われる言葉ですが「部屋の壁にはスイッチがついていて、このスイッチを押すと証明のON/OFFの切り替えが一瞬にして出来る」ように、何かをしようとしたときに、AをすればBにすることが出来るというシンプルな環境になっている状態を指します。
アフォーダンスの形容詞"afford"の意味は「余裕」「差し支えない」です。
壁のスイッチに手を置く際に、棚が邪魔をしていたら動作に「差し支え」て「余裕」がなくなります。ぼくはよくこれらの障害となるものを「ノイズ」と言うのですが、アフォーダンスを持つということは、まさしくこの「ノイズ」を減らしていくことだと思います。
話が脱線しました。
アフォーダンスを持つことで精神的な余裕が出来ることはわかったと思います。
賢明なあなたはもうお気づきかも知れませんが、このアフォーダンスを持つことで、日々のノイズを減らし、つまりそれは気が逸れる要因を取り除くことに繋がるのです。
人が1日のうちに決定できる量には限りがあると言います。
これを指して意志の力(will power)と言いますが、まさにこの力を無駄なところに割かれないためにも、日々の何気ないノイズを排除することにつとめるのがよいでしょう。
④あるべき姿に戻るということについて
最高の状態になったときに「ずっとこの状態が続けばいいのに」と思ったことは1度や2度誰にでもあると思います。
しかし、いつまでも最高のパフォーマンスを発揮することは出来ません。
その状態を支えている要因は、自分よりもその環境に多くあり、自分も環境も日々のバイオリズムの中で刻々と変化するものだからです。
ただし、最高の状態に近づけることは出来ます。
そのためには、そのときどんなプラスの要因があったかを知る必要があります。
そして、その要因をコントロールするため、機能的な生活にシフトしていく必要があります。これは先ほど書いたノイズを消す作業に通じるものです。
ここまで達成出来たら、後は最高の状態になるようにイメージすることです。
その場所は自分があるべき姿であるという念を持ち、絶えず意識するようにします。
もちろん、意識が逸れることもあるでしょう。
意識が逸れた場合、「あ、意識が逸れたな、戻そう」と意識を意識的に戻すテクニックが大切になってきます。
この「あ、意識が逸れたな、戻そう」というテクニックは、実はマインドフルと呼ばれる瞑想によって培うことが出来ます。
よく、集中力がなくて、色々考えが飛んでしまって、直前まで何を考えていたのかを思い出せない人がいますが、その人は思い出そうとしていないから思い出せないのです。
思い出す練習・訓練・トレーニングをすれば、個人差はあるにしても、それなりに意識を戻すことが出来るようになります。(かくいう僕も、意識が飛んでしまい、何か1つのことがらを意識し続けることが難しい人間でしたが、最近はこのおかげで意識し続けることが出来るようになっています)
このようにして、意識を元に戻す練習を重ねることで、あるべき場所に戻る意識を持ち続け、最高の状態になるための条件を備えて行けば、あるべき姿に戻ることが出来るでしょう。
⑤幸せということについて
ここまで、何か特定の概念は、特定の条件を想定することでより明確になるということ実践的に書いてきましたが、幸せについても同じことが言えます。
自分にとって幸せとは何か?この問いは、とても個人的な話題で、客観的な指標が持ちにくい難問だと思っています。
ただし、色々な物語や人やキャラクターに接していくうちに、彼らが何に幸せを感じているのかが分かって来るので、それが自分にも当てはまるかを考えるというのは1つの手段かも知れません。
武士として大剣豪になるため、いろいろな相手と腕比べをして、剣の道を極めることが何よりの幸せと考える人もいれば、我が子と妻の幸せが自分の幸せと感じる人もいます。色々な場所に幸せのヒントが転がっているので、一つ一つ手に取って、自分の幸せになるものかを確かめてみてください。
齢30を手前にして、人生の奥深さに圧倒される毎日です。
まだまだ修行は続く…押忍!
じゃーまた!